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朝永振一郎 (ともなが・しんいちろう) |
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1906 |
(明治39年) 3月31日,哲学者朝永三十郎博士の長男として東京に生れる。 |
1912 |
本郷の誠之小学校に入学。 |
1913 |
京都に移る。錦林小学校に転校。 |
1918 |
京都府立第一中学校に入学。 |
1923 |
第三高等学校に入学。 |
1926 |
第三高等学校卒業,京都帝国大学理学部物理学科に入学。同級に湯川秀樹博士。 |
1929 |
同大学を卒業し無給副手となる。 |
1932 |
理化学研究所仁科研究室に入る。東京へ転居。 |
1937 |
ドイツ・ライブチッヒ大学のハイゼンベルグ教授のもとに留学。原子核理論,中間子論を研究する。 |
1939 |
第二次世界大戦の勃発とともに帰国。「核物質に関する研究」により理学博士の学位を取得。 |
1941 |
東京文理科大学(現:筑波大学)教授となる。中間子論の展開、超多時間理論の研究を開始。 |
1946 |
磁電管,立体回路の研究をまとめる。「中間子論の発展と超多時間理論」により朝日文化賞受賞。 |
1948 |
「くりこみ理論」にとりくむ。「磁電管の発振機構」の研究により日本学士院賞受賞。 |
1949 |
東京教育大学(現:筑波大学)教授となる。アメリカ・プリンストン高級研究所長オッペンハイマー博士に招かれて渡米。「多体問題」の研究を開始。 |
1950 |
帰国。 |
1951 |
日本学士院会員に選ばれる。 |
1952 |
文化勲章受章。 |
1956~1962 |
東京教育大学長をつとめる。 |
1963~1969 |
日本学術会議会長,東京教育大学附属光学研究所長をつとめる。 |
1964 |
物理学における業績により,ソ連科学アカデミー・ロモノソフ・メダル受賞。 |
1965 |
量子電気力学に関する業績により,ノーベル物理学賞受賞。 |
1969 |
東京教育大学を定年退官し,同大学名誉教授となる。 |
1976 |
勲一等旭日大綬章受章。 |
1979 |
(昭和54年) 7月8日逝去。 |
1980 |
著書「物理学とは何だろうか」により大佛次郎賞受賞。 |